学生のときの話

愛知県の管理教育について振り返ってみた【中学校編】

こんにちは、黒川あさひです。

 

ツイッターで、「中学校の校則でポニーテールが禁止」という投稿が話題になっていました。

 

 

他の投稿も見ていく中で、

「愛知県は管理教育が徹底されている」

という投稿を見かけて気になったので少し調べてみました。

 

管理教育(かんりきょういく)とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、これに従わせる様式の教育方法、ないしその方針である。主として、命令一下による集団行動の徹底に重きを置く。引用 - Wikipedia

 

私は高校を卒業するまで、愛知県の三河地方に住んでいました。

今思うと、あれも管理教育だったのか…と思うことがあったので、まとめてみました。

 

校則が厳しく生徒の手によって変えられない

私が、中学校のときの校則は以下のとおりです。

 

・肩につく髪の毛は結ぶ(ゴムの色は黒、紺、茶色)

・スカート丈は膝より長くする

・靴下はふくらはぎより短くする

・リボンを短くしてはいけない

・学校指定の手提げとリュックがあるが、リュックのみでの通学は禁止

・リュックの紐を長くしてはいけない

・靴は白色のスニーカー

・眉毛を整えてはいけない

・縮毛矯正をしてはいけない

・体操着はハーフパンツの中にinする

・冬の防寒具は基本的になし(マフラーは禁止)

 

他にもあったと思いますが、思いついたものだけでこんなにもありました。

 

学校には一応生徒会があって、その選挙の演説のときに「〇〇の校則を変えます!だから私に投票してください!」と訴える子がいました。

その後、署名を集めて実際に校則が変わったこともありました。

 

私の在学中には、「冬にセーラー服の上にカーディガンを着てもよい」ということになりましたが、実際にそれが許されていたのはせいぜい2〜3年で、「着こなしがだらしない」などといった理由で中止になりました。

私が卒業した後に、マフラーが許可されたそうですが、これも数年後には取り消されました。

 

結局、生徒がいくら校則を変えようとしても、学校からの抑圧には敵わないのです。

 

内申点がカギとなっている高校受験

愛知県の高校受験は、他の都道府県と比べて独特です。

 

名古屋にはいくつかの有名な私立進学校がありますが、それでも県内の大半の進学校が公立です。

私が住んでいた三河地方では、わざわざ名古屋の高校に通う人はほとんどいなかったので、実質的に成績がよい生徒は公立の進学校を受験し、滑り止めに私立の特進コースを受けるというのが普通でした。

 

公立高校の受験に必要なのは、通知表の点数の合計である内申点と、当日の試験の点数です。

通知表は5段階評価で9教科あるので45点、当日の試験は1問0.5点の問題が20問、これが5教科あるので50点、合計95点が満点の成績となるわけです。

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つまり、内申点の1点が当日の試験の2問分に相当します。

あさひ
これって結構大きくないですか?

 

当日の試験で点数をとればいいと言っても、もしかしたら思わぬところで凡ミスをするかもしれない。

その0.5点で合否が決まってしまったらそんな悔しいことはありません。

 

なので、できるだけ内申点が高いほうが安心して試験に臨めますし、他の受験生に比べて有利になるのです。

生徒は、希望の高校を受験するために内申点を上げようとします。

内申点を上げるには、普段の定期テストでよい点をとり、提出物をちゃんと出すことが求められます。

しかし残念ながら、どんなに頑張ってもこれだけでは5を取れないことがあります。

 

先生の主観によってつけられる内申点

私の時代は、通知表の評価の基準は「相対評価」でした。

相対評価とは、それぞれの評価の割合が全体でどれくらいかが事前に決まっています。

 

真ん中の3が一番多く、4と2がその次に多く、5と1が一番少なくなっています。

極端なことを言うと、クラスの全員が定期試験で100点を取って提出物も完璧だとしても、誰かは評価を1にしないといけないのです。

 

この絶対評価の逆が「絶対評価」で、絶対評価であれば、先ほどの極端な例の場合、全員5をつけることも可能なのです。

 

ここで話を戻します。

本当は、定期テストでも文句なしの高得点で提出物もちゃんと出した生徒全員に5がつけられるべきですが、決められた人数からあふれてしまうと誰かに4にならなければなりません。

 

ここで勝負になるのが、先生に気に入られるかどうかです。

そんなバカなと思う方もいるかもしれませんが、こんな話が実際にまかり通っていました。

 

私が中学2年生のとき、担任の先生は体育会系の若い男の先生でした。

この記事でも少し書きましたが、その先生は、「先生!」と寄ってきてくれるような積極的な生徒を好んでいました。

逆に大人しい生徒のことは理解してもらえませんでした。

 

当時、クラスで一番成績がよかった男子はどちらかというと大人しい子でした。

大人しいといっても、スクールカーストは上位で彼女もいるような子でした。

 

ただ、先ほど書いたように先生に自ら寄って行くようなタイプではありませんでしたし、クラス委員に立候補したり、合唱コンクールで指揮者をしたり、そういったこともしませんでした。

 

熱血先生は「成績が良い子=積極的」というのが当たり前と思っているのか(確かにそういう生徒は多いのですが)、その男子のことがどうも気に入らないようでした。

 

私がその男子と席が隣になったときのことです。

その日は日直だったのですが、男子が私にこそっと言いました。

「悪いんだけど、朝のあいさつを代わりに言ってくれない?」

男子が朝のあいさつを言ってくれることが多いのですが、以前、彼は熱血先生に「あいさつの声が小さい」といちゃもんをつけられていたのです。

 

彼はのらりくらりと、熱血先生の目をかいくぐりながら何とかやっていました。

しかし、噂だと熱血先生の担当教科の内申点は4だったそうです(ちなみに英語の女の先生にも同様に嫌われ英語も4だったそう)。

 

ただ、彼はそんな理不尽につけられた内申点は物ともせず、高校は地域でトップの進学校に入学し、県内トップの国立大に合格、大学院卒業後は地元の某有名企業に入社したと聞きました。

 

このように、大事な内申点が先生の主観によってつけられてしまうのです。

もし、彼が先生に抗議したとしても「5の生徒が多かった、彼は態度が他の生徒に比べて良くなかったので4をつけた」と言われておしまいだったでしょう。

 

彼の場合は内申点が下がったパターンですが、逆に、積極的な面を自ら押し出して内申点を上げようとする生徒もいました。

生徒会への立候補、合唱コンクールの指揮者、ピアノ伴奏者などに貢献すれば内申点は確実に上がります(成績はよいけど声が小さい女子は、合唱のピアノ伴奏を買って出て音楽を5にしてもらうというのは定番でした)。

 

私が中学校を卒業した後、通知表の評価は絶対評価に変わりました。

絶対評価であれば、そういった不公平な評価は少なくなる気がしています。

 

内申点で受験する高校が先生によって決定される

公立高校の受験方法ですが、三河地方の公立高校は1群と2群に分けられ、その群からさらにAグループとBグループに分けられています。

受験生は、どちらかの群を選択し、Aグループから一つ、Bグループから一つ、受験する高校を選びます。

つまり公立高校は二校受験できます。

※平成29年度(2017年度)から、三河地方は1群、2群がなくなり、群が一つになったそうです。

 

わかりにくいと思うので、表にしてみました。

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例えば、A高校が本命だけど合格するにはちょっと厳しいという生徒がいたとします。

A高校を第一志望にすると、必然的に第二志望はC高校になります。

A高校に不合格だったとするとC高校に行くことになりますが、C高校はB高校よりも偏差値が低いのです。

ならば、最初から2群を選択してB高校を第一志望にするという手もあります。

 

しかし、「本番に点数が取れればA高校に入れるし、挑戦してみたい!」という気持ちで、いざ先生との面談でそのことを伝えると、「内申点がちょっと足りないから…」とA高校の受験をやめるようにやんわり言われてしまうのです。

 

本当はA高校とB高校のセットで受験ができればいいのですが、進学校同士で学力に差が出ないように群が決められているので、群をまたいでの受験はできません。

 

結局、ここでも内申点が響いてきます。

そして、先生たちも「いかに第一志望校に合格させるか」を考えています。

なので、合格圏内に届いていない生徒には確実な安全パイを狙わせます。

 

ある意味、先生たちによって進学する高校を決められてしまいます。

文句を言われないためには内申点を上げないといけない、しかしそのためには先生に好かれないといけない…そこまでして内申点を上げるというのは、

すでに受験勉強で疲労している中学生には酷なことです。

 

友人の中には、進学校への受験を諦めて、ランクを落として別の高校に推薦入試で受験した子もいました。

その友人は、高校で上位の成績をキープし大学も推薦で合格しました。

ギリギリで進学校に入学して授業についていくのが大変だった私から見ると、それはそれで、ある意味賢い選択なのだと思います。

 

まとめ:中学校の管理教育について思うこと

中学生だった当時は、あまり疑問に思っていなかったというか、それが当たり前だと思っていました。

しかし、思い返してみると、あれはちょっとやりすぎだったのでは?と思うことがいくつもありました。

 

確かに反発していた生徒は何人かいましたが、多くの生徒は先生の言うことを素直に聞きます。

押さえつけようと思えばいくらでも押さえつけられますが、理不尽なことに対して声をあげられないのはかわいそうだと感じます。

 

高校に進学したら少しは自由になりましたが、やはり管理教育の色は残っていました。

機会があれば、高校編についても書きたいと思います。

 

【追記】高校編の記事を書きました。こちらもぜひ読んでみてください。