こんにちは、黒川あさひです。
先日『ネプリーグ』というクイズ番組を観ていました。
LINK
この回では、灘、開成、洛南という超進学校に通う現役の高校生が出演していました。
その中の1人、洛南高校の女の子の態度に、ちょっと違和感を持ちました。
簡単に言うと、
周りの人を見下しているような態度をとっていました。
対戦相手は東大出身の芸能人。
その中の吉田たかよしさんが、漢字の問題で「鎮静」という字が書けなかったときに、彼女は「(医者なのに)鎮静剤の鎮が書けないの?」というような発言をしたのです。
また、相手チームが答えているときには「あー、わかるでしょ、それは」と煽っていました。
彼女自身、答えを間違うこともありましたが、それを素直に認めない態度も気になりました。
ネットで検索してみると同じように思っている人が結構いて、ネット上ではちょっとした炎上騒ぎになっていました。
同じように違和感を持った人がたくさんいたのです。
しかし、彼女のこのような態度は、めずらしいものではありません。
私は「頭はいいけど、人を見下す」人を何人か見てきました。
なぜ、そのような態度が出てきてしまうのかを考えた結果、一つの持論にたどり着きました。
ここでは、「人を見下す高学歴の人」について解説していきたいと思います。
目次
高い学力があるのに人を見下す態度はもったいない!
私は彼女の態度を見て思ったのは、
せっかく高い学力があるのに、もったいない!!
私は、いわゆる『偏差値が高く頭がいい』人は嫌いじゃないです。
偏差値が高いのも一種の才能だと思っています。
たまに勉強しなくてもできる人もいますが、ほとんどの人が努力して高い学力を手に入れています。
努力して何かを手に入れているという面では、スポーツや仕事でも同じだと思っています。
よく、テレビで「東大生は勉強ばっかしてきて彼女もいなくてつまらないww」みたいに揶揄されていることがありますよね。
これがもし勉強でなくてスポーツだったら「ああ、スポーツに打ち込んでて彼女作るひまがなかったんだね」と言われるだろうに。
なぜ、勉強に打ち込むのはつまらないとかダサいという認識なの? おかしくないですか?
洛南の彼女は、模試の偏差値が80を超えているそうです。
並大抵の努力ではここまでの成績にはなりません。素直にすごい!と思います。
私の周りにいた「人を見下す」高学歴の人たちの特徴
私は、高校は進学校、大学は国立大学に進んだので、高学歴とまでは言えないけど、いわゆる「頭がいい」人たちと接する機会がありました。
これまで出会ってきた人たちの中に、こういう「人を見下す」ような態度をとる人が実際にいました。
ちょっと付き合ってみるとわかるのですが、その子は決して悪いことをしている気は全くないんです。
相手を嫌な気分にさせようという気持ちは持っていません。
ただ単に、口から自然と『見下すような言葉』が出てしまうという感じなのです。
ネプリーグの彼女もそんな印象を持ちました。
ここから、人を見下す高学歴の人の特徴を3つあげていきたいと思います。
【特徴①】自分の価値=勉強ができるという極端な考えを持っている
勉強ができることを誇りにするのは悪いことではありません。
しかし、その発想が極端になってしまうと、
勉強ができない自分には価値がない
→勉強ができない人は価値がない
というふうに、他人にすり替えてしまうことが起こってしまいます。
【特徴②】勉強以外にコンプレックスを持っている
こういう人は、自分にコンプレックスを持っていることが多いです。
例えば、
- 今まで交際したことがない
- 容姿がよくない
- 運動ができない
とか。
人間、得意不得意なものがあるのは当然なのですが、彼らはそれを認めようとしないのです。
なので、欠点を勉強ができるということで打ち消そうとします。
なので、勉強ができて容姿がよくて運動もできるなんてパーフェクトな人は、彼らの絶好のターゲットになってしまいます。
ちょっとしたミスを叩いて、自分の精神を保とうとします。
【特徴③】他人と自分を比較して欠点を探す
世の中にはいろんな人がいます。
勉強ができる人、できない人、裕福な人、貧乏な人…。
自分とは違う人がいても、普通は「ああ、この人はこういう人なのね」で終わりです。
何か被害を受けたのならそりゃ憎むこともあるかもしれませんが、実際は必要最低限に関わるだけですむはずです。
しかし、彼らは自分と他人を比較し、自分より劣っているところを見つけると見下すような態度をとります。
自分のが上だと言わんばかりに。
他の人と比較したところで、自分の価値が上がるわけではないのですが…。
人を見下す高学歴は「私立中学校」出身者が多い理由
人を見下す高学歴の人を実際に見てきて、私は一つの法則に気づきました。
それは、「私立中学校」の出身者が多いことです。
【原因③】のところで、「世の中にはいろんな人がいる」と書きました。
私が今まで生きてきて、世の中にはいろんな人がいると実感したのは「中学生」と「社会人」のときでした。
まず、なぜ中学生なのかについて説明します。
小学生の間はまだ純粋で、誰とでも仲良くできます。
女子は高学年くらいになると、グループで対立することもありますが、誰が上で下かというようなスクールカーストは、はっきりしていないことが多いです。
しかし、中学生になると完全にカーストができます。
小学校のときは「名前+ちゃん」で呼ばれていたのに、中学生になったら「苗字+さん」で呼ばれるようになったのは地味にショックでした。
「ああ、私はカースト底辺なんだ」という事実を突きつけられたのが中学生のときです。
カーストに加えて、勉強ができるかできないか、実家が裕福か貧乏か、性格が積極的か大人しいか…多くの要素がかけ合わさって、とにかくいろんな人種がいました。
私は「いろんな人がいる」ということはわかっていたものの、その事実を受け止められずにいました。
「なんで不真面目な子と一緒に過ごさなければいけないのか」
「私立の中学校のように、周りがみんな真面目な子ばかりになればいいのに」
と思っていました。
まあ、その願いは叶うはずもなく、私は悶々としたまま3年間を過ごしました。
次に、なぜ社会人なぜなのかについて説明します。
ちなみに、高校・大学は偏差値や校風で差別化されていることが多いので、自分と同じようなタイプを見つけるのに苦労はしませんでした。
社会人経験がある人は想像がつくでしょうが、私は職場で再びいろんな人と接するようになりました。
私は専門学校で医療系の資格を取ったあと、就職をしました。
職場には、資格を持っていない人もいれば、派遣社員の人、既婚の人、未婚の人…老若男女いろんな人がいました。
私は仕事をしていく中で、「いろんな人がいるけど、適度に接するだけでいいんだな」とわかったのです。
中学生のころは、先生たちから「みんな仲良くしなさい!」という教育を受けてきました。
なので、「合わない子でも仲良くしないといけない…仲良くできない私はダメなんだ」と思っていました。
でも、実際は仲良くなる必要はなく、当たり障りなく接することができればそれでいいということに気付きました。
つまり、人を見下す人は、この「いろんな人がいるけど適度に接する」ことがわからないのです。
ということは、私のような中学校生活を経験しておらず、社会人経験がない(少ない)。
つまり、「公立」中学校ではなく、「私立」中学校に通っていた可能性が高いということになります。
中学校から子どもを私立に入れようする親は、教育熱心です。
そして、子ども自身も、勉強が嫌いな子はまず入りません。
比較的真面目な子に囲まれて過ごす→社会人になったときにいろんな人がいてビックリしてしまう
ということが起きているのではないでしょうか?
ちなみに、ネプリーグの彼女が通っている洛南高校も、付属の小学校と中学校があります。
小学校あるいは中学校から、ずっと通っている可能性が高いです。
私は中学校は大嫌いだったけども、「社会の縮図」を学べたという意味では、公立の中学校に通ってよかったと思っています。
まあ、今だから言えることですけどね…当時は、死ぬほど嫌でした。
【まとめ】他人を見下すのはいいけど、表には出さないほうがいい
私でも、
「この人とは仲良くなれないな」
「ちょっと育ちが悪いな」
と思うような人と出会うことがあります。
ただ、心の中でそう思うのは、悪いことではないと思います。
しかし、その感情を表に出すのはよくありません。
相手はもちろんですし、見ている周りも気分が悪くなりますから。
「人を見下す」人が気付かなくていけないことをまとめてみました。
- 世の中にはいろんな人がいること
- 自分と他人を分けて考えること
- 高学歴であることは、社会人になったらさほど重要ではないこと
- 「合わない人」は適度に接すればいいこと
このあたりを理解するのが必要なのではないかなと思います。
ネプリーグの彼女はまだ高校生です。
今後、アルバイトや仕事をする中で、少しずつわかってくれたらいいなと期待しています。